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【日本酒片手に発酵の地巡り#1】 滋賀(前編)ハッピー太郎醸造所

 

日本酒は、日本の歴史と文化が凝縮された発酵食品。
ならば、「同じ土地で育まれてきた発酵食品と日本酒は相性がよいのではないか…」そんな仮説を元に、日本酒と発酵食の相性を追究する発酵料理研究家の真野遥が、全国各地の土地に根付いた発酵食品生産者を取材し、その場で生産者とともに杯をかわす連載です。

お酒と料理の相性、いわゆる「ペアリング」をキーワードに、独自の視点で地域の魅力を掘り下げます。

第一回目の地域は滋賀県。
琵琶湖をぐるりと囲む滋賀県には、鮒寿司を中心とした独自の発酵食文化が形成されています。
今回は、そんな滋賀県彦根市にある「ハッピー太郎醸造所」を訪ねました。

音楽を奏でるように発酵食品を醸す、ハッピー太郎さん

ピカピカの笑顔で出迎えてくれたのは、”ハッピー太郎”こと池島幸太郎さん(以下ハッピーさん)。
ハッピー太郎醸造所では、糀(※)をはじめとした発酵食品の製造販売をされており、今回は鮒寿司をお目当てに伺いました。

※一般的には「麹」と記載するが、今回は和製漢字である「糀」と記載しています。

ハッピーさんは、京都大学を卒業後、島根県の有機農業法人や複数の酒蔵、酒販店で修行したのち、2017年にご自身の醸造所を立ち上げられました。
子供の頃からピアノや音楽に慣れ親しんで育ち、大学時代は交響楽団の代表を務め、トランペット奏者として音楽漬けの日々を送っていたそうですが、ある日トランペットの師匠に連れて行ってもらった蕎麦屋での気の利いた酒とつまみに惚れ込み、同時に「気持ちを込めたものは人の心を動かす」と音楽とお酒に共通点を感じ、醸造の世界へ飛び込んだそう。有機農業法人や酒蔵で修行をしたのは、農業と醸造の両面を学ぶためだったそうです。

日本酒に惚れ込み、酒蔵では計12年もの修行を積んだハッピーさんですが、現在の日本では、独立して新しく酒蔵を立ち上げることができません。
そんな時、彦根にある糀屋が廃業すると聞き、「近所で糀難民が出るのではないか」と危惧すると同時に糀の需要を確信し、糀を中心とした醸造所を立ち上げることにしたそうです。

築100年の古民家をリノベーションし、風呂場部分を改装したという工房は、壁に滋賀県産の杉材を使用し、防水効果のある柿渋が塗られています。
ご自身が仕事をしたくなる空間と、見に来た人が気持ちよく感じる空間にこだわったそうで、こじんまりとした空間ながらも風通しがよく、清々しい気持ちになります。

酒蔵の糀は工芸品、糀屋の糀は農作物

鮒寿司を見せていただく前に、主力商品である糀についてお話を伺うことに。

ハッピーさんが手にしているのは、米を蒸す道具。

長年、酒蔵で糀を作ってきたハッピーさん。
酒蔵が作る糀と、糀屋が作る糀の違いを丁寧に説明してくれました。

糀好きな私は大興奮!!

そもそも、糀とは、米などの穀物に麹菌というカビの一種を繁殖させたもので、麹菌が穀物に繁殖する過程で生じる酵素(糖化酵素やタンパク質分解酵素など)を利用して、日本酒や味噌や甘酒などの発酵食品が造られています。

そして、日本酒を醸す際の糀と、味噌や甘酒を醸す際の糀は性質が違い、ハッピーさんはそれを「酒蔵の糀は工芸品、糀屋の糀は農作物」と表現します。

麹菌をたくさん繁殖させればさせるほど、酵素の活性力の高い糀になります。
味噌や甘酒などを用途とする糀屋さんの糀に求められるのは、酵素の力の高い糀。
そうすることで、例えば味噌の場合は大豆のたんぱく質をしっかりと分解して旨味を引き出すことができ、甘酒の場合は米のデンプンをしっかりと分解して甘味を引き出すことができます。

一方、酒蔵の糀は、酵素の力価を高めすぎると味が強くなってしまうため、味のイメージに合わせて酵素のバランスを調整します。米の吸水から蒸し方、麹菌の量、温度経過など全てをデザインし、彫刻刀のように、いらないものを削っていきます。

言うなれば、前者の糀は土(米)に種(麹菌)を落とし、太い幹と根っこ(菌糸)を生やす、農業のようなもの。後者は、工芸品のように丁寧に彫刻刀で削っていくようなイメージだそう。

酒蔵での修行経験があるハッピーさんならではの発想ですね。

ところで、元々は日本酒業界への新規参入が難しいことから糀屋を選択されたハッピーさん。
日本酒への未練は無かったのでしょうか。

「将来的には、新しい酒蔵を興して自分の酒造りがしてみたいという気持ちはあります。クラフトビールのように、誰もが日本酒の醸造所を創れるようになったら楽しいですよね。

でも、酒蔵出身の自分ならではの価値を糀に込められている今の仕事には満足していて、さらなる可能性にワクワク感が増すばかりです。製造から販売まで一人で完結できる糀屋だからこそ、自分自身を無理なく表現できていますね。」

テロワールが重視される日本酒の世界に長く身を置き、有機農業法人で米作りをしてきたハッピーさんは、使用する米にも人一倍のこだわりが。

使っている米は、自然農法米の「滋賀旭」、減農薬米の「秋の詩(うた)」、そしてハッピーさんが「はみだし米」と呼んでいる、ふるいから落ちた米の3種類。いずれも、すぐに会いに行ける距離の農家さんから仕入れているそうです。

「はみだし米は形と食味が悪く、本来は売り物にならない米なのですが、糀にしてしまえばなんてことない。むしろ、はみだし米は水を吸いやすく、非常に溶けやすい糀になるので、これで味噌を仕込むと糀がしっかりと旨味を出し切ってくれて、とても美味しい味噌に仕上がるのです。

そのままでは価値が無かったはみだし米も、糀にすることで価値が生まれます。
そうすれば、農家さんにもお金が入って、みんなハッピーでしょ!」

ハッピーさんにとって「発酵」とは、音楽と同じように、人に幸せを与える表現方法のひとつなのですね。

糀室の断熱材は、蒸し焼きにしたコルク。かっこいい!!
コンパクトな糀室は、まるでミニチュアのような可愛らしさ。
糀室の温度を保つ熱源は、なんと炬燵の裏のヒーター。

すっかり糀のお話に聞き入ってしまいましたが、今回のお目当ては鮒寿司。
なんでも、ハッピーさんは世にも珍しい「玄米鮒寿司」を作っているとのことで、とても楽しみにしていたのです!

常識を覆す”フルーティーな鮒寿司”

言わずと知れた、滋賀県独自の発酵食品である鮒寿司。
琵琶湖に生息するニゴロブナを、炊いたご飯と塩で漬け込んで乳酸発酵させた熟れ鮓(なれずし)で、現在私たちが食べている寿司の原型だと言われています。

クセが強く、好き嫌いが分かれる食べ物というイメージをお持ちの方が多いかもしれないですね。私自身、苦手ではないものの、さほど好きというわけではありませんでした。

…ハッピーさんの鮒寿司を食べるまでは。

「せっかくなので切り立てを」と、その場で鮒寿司を切ってくださるハッピーさん。

ハッピーさんは、白米で漬け込む通常の鮒寿司と、玄米で漬け込む玄米鮒寿司の2種類を作られています。鮒寿司は、夏に発酵させて晩秋〜冬に漬け上がるため、伺った12月はタイミングよく出来立ての鮒寿司を頂けました。

ハッピーさんの鮒寿司のこだわりは、琵琶湖産の天然のニゴロブナを使用していることはもちろんのこと、やはり一にも二にも”米”。
自然農法米の「滋賀旭」を贅沢に使用しており、自然農法米で発酵させると、嫌な臭いが全く無く、吟醸香のようなフルーティーな香りがしてくるのだとか。

さらに不思議なのは、玄米鮒寿司の方が、白米の鮒寿司よりもフルーティーなこと。

写真手前からはす子の熟鮓、左奥が玄米鮒寿司、右奥が白米の鮒寿司。

一般的には、日本酒は原料となる米を磨けば磨くほどフルーティーで香り高くなり、あまり磨かない米で醸したほうが、香りが低く、穀物系の香りが目立つようになります。

そのため、玄米鮒寿司がフルーティーだなんて信じられず、半信半疑で香ってみると…

疑い深い表情で玄米鮒寿司の香りを嗅ぐ…

フ、、フルーティー!!

…なんということでしょう。
日本酒で言うところの”バナナ系”と称されるタイプの吟醸香がするではないですか。
(一説によると、玄米に含まれる脂肪酸が要因となっているのだとか。)

白米仕込みの方もほんのりとフルーティーな香りがあるのですが、玄米仕込みの方が圧倒的にフルーティー。バナナや白い花を思わせる、かぐわしい香りにうっとり…。
これは、日本酒とのマリアージュに期待が高まります。

そして、さらに驚いたのが、フナの身の部分が美味しいのはもちろんのこと、漬けているご飯「飯(いい)」が、まあ美味しい。

玄米鮒寿司の飯はプチプチとした食感が楽しく、白米鮒寿司の飯は濁酒(どぶろく)を思わせる甘酸っぱさ。ほんのりチーズのような香りもありますね。
飯だけでパクパク食べられちゃうくらい、止まらない美味しさです。

そして、飯はそのまま食べるだけではなく、いろいろな料理への活用法があり…これに関してはまた後編で。

鮒寿司を作れば「滋賀県民」になれる…!?

実は大阪生まれのハッピーさん。小さい頃は両親の転勤で関西を転々とし、小学生からは滋賀に住んでいたそうですが、大学進学で京都に移り、その後も島根や大阪に住んでいた時期があったため、生粋の滋賀県民ではないそう。

「ふるさとが無いからこそ、『鮒寿司を作れば滋賀県民になれる』と思いました。」

「実際に鮒寿司を作り始めてから気が付いたのは、”鮒寿司は滋賀県民のコミュニケーションツールのひとつである”ということ。
滋賀県民は、自分の作った鮒寿司を人に食べてもらうことに喜びを感じており、鮒寿司に関する情報交換を通じて、コミュニケーションを取っています。
目に見えない菌の力によって複雑な風味が醸成され、家庭ごとに大きく味が異なる鮒寿司は、自分のコントロールが及ばない、謎に満ちたものだからこそ、そのぶん美味しく仕上がったときの喜びは大きい。鮒寿司は、その喜びを人と分かち合える存在でもあるんですよね。」

「発酵食品を介すと、人の繋がりに深まりが生まれます。」

何世代にも渡って伝わり、その土地に根を張ってきた発酵食品は、純粋な「食べ物」であることを超えて、地域のコミュニティそのものを築き、支えてきた存在でもあるのですね。
伝統を守ることがなぜ大切か、その意味をまたひとつ理解することができました。

ハッピーさん、ありがとうございました!!

ハッピーさんの作る発酵食品は全て美味しい!たっぷりお買い物をして帰りました。

 

後編では、ハッピーさんの鮒寿司と、琵琶湖料理専門店「住茂登」さんの鮒寿司を頂きながら、日本酒とのマリアージュを探ります。
どうぞお楽しみに!!

ハッピー太郎醸造所
ウェブサイト:
https://happytaro.jp/

Writer
真野 遥
Photographer
森澤 直人
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